2005. 12. 11.の説教より

「 今日、ダビデの町で 」
ル カによる福音書 2章8−20節

 言うまでもなく、このところは、夜、野宿しながら羊の番をしていた羊飼いたちに、救い主・イエス様がお生まれになられたことが知らされた、それも、一番最初に知らされたことが語られているところですが、でも、なぜ、一番最初に、羊飼いたちに、救い主・イエス様がお生まれになられたことが知らされることになったのでしょうか。多くの人たちに、救い主・イエス様がお生まれになられたことを知らせるのであれば、また、一人でも多くの人たちに救い主・イエス様がお生まれになられたことの喜びに与らせるのであれば、羊飼いたちよりも、もっと地位のある人たちのほうが良かったかもしれません。それも、片田舎のダビデの町外れにいた人たちよりも、エルサレムの都にいる人たちのほうがです。なぜなら、片田舎の羊飼いたちの言うことなど、まじめに聞こうとする人など、そう多くはなかったのではないかと考えられるからです。片田舎の羊飼いたちが、「お生まれになられたばかりの救い主にお会いした。」と言ったとしても、「なにを田舎の羊飼いたちが。」とのひと言で片付けられてしまったのではないでしょうか。それぐらい、わたしたちが考える以上に、羊飼いたちは軽んじられていた人たちであったわけです。もともとイスラエルの人たちは、農耕生活をしていた民ではなく、羊の群れを連れて、草が豊かにあるところを求めて旅をしていた遊牧の民でしたので、羊飼いの仕事をするということは、言うなれば、先祖伝来の仕事をしていることでもあったのですが、イエス様がお生まれになられた頃の時代においては、羊飼いの仕事をしていることは、社会的に軽んじられることが多い職業となっていたのでした。「職業に貴賎なし」とはよく言われることですが、しかし、現実はと言えば、やはりどこか、その人を職業によって見てしまっているところがあるのではないかと思われるです。そのような見方をしてはならないことはわかっていながらもです。それにしても、羊飼いの職業が、どうして軽んじられるものとなってしまったのかと言えば、やはり、いつも羊たちと共に生活していたために、羊臭くなっていたということがあったのかもしれません。聞くところによれば、羊飼いの人たちの仕事というのは、羊に草を食べさせたり、水を飲ませたりしていたというだけでなく、羊泥棒や獣たちから羊を守るために、昼夜を問わず羊の番をすることでしたので、それこそ時には、羊を守るためにハイエナや狐と戦うこともあったということです。よく、羊飼いの人たちを描いた絵などを見ますと、必ずと言っていいほど、先のほうが大きく曲がった杖を持っていますが、あの杖というのは、杖をついて歩くための杖ではなく、羊泥棒や獣たちと戦うための杖だったということです。ですから、いつ羊泥棒や獣たちが来てもいいように杖を持っていたわけです。そのように昼夜を問わず羊たちのことを守っていたのですから、羊臭くなっていたとしても当然と言えば当然のことのことだったかもしれません。それはまた、羊飼いたちが羊たちを大切にしていることの徴であったかもしれません。それに、羊飼いたちは、羊の群れを連れて、草が豊かにあるところを求めて旅をしていた遊牧の民でありましたので、定住生活者でなかったということも、社会的に軽んじられることになった理由であったのかもしれません。その他にも、羊たちに食べさせる草を求めて旅をしていたことと、今日は安息日だから羊の世話をしないことにするということもできなかったことから、とても律法を守った生活などすることができない状況にあったということも、社会的に軽んじられることになった理由として考えることができるかもしれません。律法を守る生活をすることができない人たちは、罪人として、神様からほど遠い存在として見なされていたからです。
 とにかく、そのように社会的には軽んじられていた羊飼いたちこそが、一番最初に、救い主・イエス様がお生まれになられたことを知らされることになったのでした。それも、羊の番をして野宿していたところにおいて知らされることになったのでした。しかも、聖書を見ていただきますとわかりますように、聖書は、一番最初に、救い主・イエス様がお生まれになられたことを羊飼いたちが知らされることになるのは、ごく当たり前のことであるかのように語っているわけです。7節、8節のところを続けて読みますとこのようになります。「初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。」とです。いかにも、野宿しながら羊の番をしていた羊飼いたちこそが、一番最初に、救い主・イエス様がお生まれになられたことを知らされることになる人たちとして相応しいことであったかのように聖書は語っているのです。社会的には軽んじられることが多かった人たちこそが相応しかったかのようにです。社会的な地位のある人たちよりもです。それは、言い換えれば、救い主・イエス様がお生まれになられたことの知らせを最も必要としていた人たちだったからかもしれません。また、そうだからこそ、羊飼いたちに救い主・イエス様がお生まれになられたことの知らせるときの天使の知らせ方というのは、ひじょうに劇的なものとなっているのかもしれません。13節を見ていただきますとわかりますように、天使だけでなく、天の軍勢まで加わって、羊飼いたちの前で、神様を賛美したというのです。そして、さらには、12節で、「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」「これがあなたがたへのしるしである。」とまで語って、羊飼いたちに「しるし」を与えるということまでしているのです。言うなれば、いたれりつくせりのことを、神様は、天使たちを用いて羊飼いたちにしているのです。それだけ、羊飼いたちのことを、当時の社会の中で軽んじられていた人たちのことを、神様は大切なものたちしとて考えておられたということではないでしょうか。天の軍勢が、「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」と言って神様を賛美していますが、羊飼いたちこそが「御心に適う人」「御心に適う人たち」であったのかもしれません。そうは言いましても、羊飼いたちこそが、心のきれいな人たちであったとか、神様を心から求めていた人たちであったということには、必ずしもならないのではないでしょうか。社会的に軽んじられていたからといって、心のきれいであるとか、神様を心から求めていたということにはならないからです。つまり、神様にとっては、その人たちが神様の救いを必要とする人たちであったからこそ、その人たちを救われる、喜びの知らせを知らせられるということではないでしょうか。また、それが、神様の「御心に適う」ということではないかと考えられるのです。どうしても、わたしたちは、神様の「御心に適う」というような言葉を前にしますと、神様の御前にあってのわたしたちの倫理的なことがらや姿勢というものを考えるということになるのではないかと思われるのですが、この羊飼いたちの場合で考えてみますとき、あまりそうした倫理的な意味合いや姿勢ということではないのではないかと思われるのです。そんなことよりも、神様を必要とする状態にあったからこそ、神様の「御心に適う」人たちとしてくださたということが、そこにはあるのではないかと考えられるのです。まさに、神様の選びが、わたしたちの善し悪しに関わりなく、わたしたちを選ばれる選びがあるのではないでしょうか。また、そういう選びによって、わたしたちが神様から選ばれているからこそ、神様の御前に相応しくない側面をさらけ出してしまうところがあったとしても、わたしたちは少しも変わることなく、揺るぐことなく、神様のお守りとお支えとの中に生きることができるからです。もし、そうでなかったとしたならば、自分でも自分のことがわからなくなってしまうほど、神様を信じているものとしての行動をとっていたかと思えば、その次の瞬間には、神様を信じているのかいないのかわからないような行動をとってしまっているわたしたちなどは、神様のお守りとお支えの中に生きることなど、とうていできないのではないかと思われるのです。それぐらい、わたしたちというのは、当てにならないところを、いつもどこかに持っていて、引きずるようにして生きることしかできない存在なのではないかと考えられるからです。
 ローマの信徒の手紙の5章20節・21節ですが、こういうパウロの言葉があります。「律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。」「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。」とです。罪深いからといって、それで切り捨ててしまうことを神様はされないということです。かえって、罪深い者によりいっそうの恵を神様は与えてくださるということです。それが、パウロというひとりの信仰者が、イエス様との関わりにおいて到達した信仰の確信であったわけです。そうした神様であったからこそ、その社会の中で軽んじられていたような羊飼いたちをまず選ばれて、喜びの知らせに与らせることで、どのような者たちをも神様の恵の外におかれないということを表わされたのではないかと考えられるのです。
そうした神様の恵に応える者としての思いを、主のご降誕を迎えるにあたって新たにしたいと思うものです。